政治姿勢・公約
お世話になります!須藤昭男です。

平成11年、群馬県議会議員に初当選してから皆様にお支え頂き、今日まで無我夢中で突き進んでまいりました。
 その間、初めての議員生活の中で驚くようなこと、納得のいかないこと様々な出来事を体験しながら県政に対する地元からの要望や疑問に自分なりに懸命に 取り組んでまいりました。しかし、まだまだ十分満足な働きができたとは考えておりません、逆に、わずかばかりの経験を積み新しい提案や改善点等、みどり 市、群馬県を愛する思いはますます熱く激しくなりました。
 さあ皆さん、普段の生活で疑問に思っていることを教えてください。須藤昭男はあなたとともに一生懸命問題解決に取り組んでいきます!

公約


1.人は財産、未来の財産を大きく育成

三児の父でもある須藤昭男は少子化対策としてお父さん、お母さん方の声を活かします。育児休業制度、不 妊治療対策、子育て支援の経済的援助、保育施設・制度の充実を目指します。
子どもたちの優しい心や命の大切さを育む教育制度の充実や学校外の教育として育成会や子ども会活動などを支援します。
少しでも安全な環境で子どもを育てたい。そんな願いを実現します。

2.あたたかい医療と福祉

小児科・産婦人科等の医師不足を解消し、より質の高い医療体制の確立を目指します。
介護保険制度の充実、バリアフリー社会の構築を進めます。
生涯学習制度の充実、お年寄りが一人にならない環境を整備します。

3.安全・安心な群馬県

安全・安心な食生活の維持・確保、食料自給率の向上を目指し、群馬県の『食』を築きます。
情報公開は時代の潮流です。開かれた県として情報公開度、全国bPを目指します。
自然災害など、予防対策を徹底し万一のときの危機管理体制を確立します。

4.みどり市らしい街づくり

古代から歴史とみどりあふれる自然を財産として、新しい文化との調和ある街づくりを応援します。
自主財源の確保と効率的な活用、広域協力行政を実現します。
国道50号バイパス(笠懸〜前橋間)・北関道ならびにアクセス道の建設を促進し、みどり市内の交通網整備をします。
広域ネットワークを重視し、新たな観光ルートを確立して、『わたらせ渓谷鐵道』を支援します。

5.経験と実績の産業活性化

景気回復をより確かのものとし、さらに強い群馬を構築できるようにきめ細やかな対策を講じ中小企業経営 を支援します。
『みどりブランド』の確立をして地場産業の流通促進を行います。

「須藤県議に期待する」
 自由民主党群馬県支部連合会監修 県政風雲録 より



笹川氏の下で政治修行

小中学校時代、須藤は野球少年だった。ピッチャーやサードといった花形ポジションにこだわったのも、 当時の少年とすれば当然のこと。桐生南高校から青山学院大学ではバドミントンと、スポーツに打ち込んだ。
 実家は桐生競艇場の目の前にあり、父・昭一氏が駐車場や貸し店舗を運営する会社を経営していた。そのため、 「ゆくゆくは父を支えて……」と就職にこだわらず、視野を広げようと在学中からアメリカなど外国を放浪した。
卒業後も半年ほどアメリカに滞在。人や空気と触れ合いながら、大きな国を様々な角度から体験してきた。
 翌年、須藤は笹川堯衆議院議員の秘書となる。「政治家になりたいという明確な考えはなかったが、様々な方々と 接する国会議員秘書が、人生の武者修業という意味では最適ではないか。自分を育ててくれた郷土への恩返しにもなる。 そういった考えから、地元選出の笹川先生の門をたたいた」
 東京で、地元・桐生市内の事務所で、十年以上もの間、須藤は笹川氏について政治の現場を学び、様々な栄養を吸収し ていった。須藤自身学生時代までは、必ずしも政治を身近なものとはとらえていなかった。それが秘書生活に入って一変した。
 「政治家など、誰がやっても同じではないか。世間でそんな言い方をする。しかし、そうではないことを現場に入って痛感した。 政治とは人々に夢を与える仕事、という意識が強くなった。そういった意識の変化から、徐々にではあるが、政治家志向が高まっていった」

若さへの期待

新田郡では平成十年九月に森田重雄県議が急逝する。その後継者として様々な名前が挙がったが、最終的には須藤を推すことに。混迷する社会の打破へ、 三十代という若さへの期待が集まったということだ。   この動きと、須藤の政治家志向の高まりが連動して、翌十一年四月の県議選に向けた戦いが始まった。   「政治の大切さを肌で感じた秘書生活だっただけに、この経験を生かすには絶好のチャンスだと思った。声がかかったからには是非とも挑戦したいと」
 とはいえ、出馬には家族が難色を示した。無理もない。結婚に際しても「絶対に選挙には出ない」と恵夫人に約束していたのだったから。須藤夫妻は三人の小さな子どもがおり、まさに子育て真っ最中。夫人にかかる負担は重い。
 師事した笹川氏は、「政治家としての筋を通すために」自民党を離党し新進党人り。そして同じように筋を通すために、自民党に復党した。須藤は家族に対してそれに触れながら説得していった。
 「笹川先生の行動は、政治家として非常に勇気のいるものだと思う。周囲からも『よくやった』よりも『なぜそこまで』という声が強かった。私もそう思った。しかし、自らの利害ではなく政治家としての信念、人との約束を最優先する姿を目の当たりにして、政治家とは、人間とはどうあるべきかを学んだ。それを生かすための大きなチャンスなのだ、という考えを家族には理解してもらい、協力を得た」
地域の人たちと正直に、何事も包み隠さず、真正面から向き合い、語り合う。それが政治家の一番の使命ではないかと確信している。それは恩師・笹川氏が行動を通じて教えてくれたこと。決して大風呂敷を広げることなく、現状を冷静に把握しながらも、みんなが「夢を持ってくれる」ようなビジョンを提起していく。とりわけ、若い須藤には長期的視点に立ったビジョンが期待されることは間違いない。

「熱血宣言 未来のために」

 

その観点で、新田郡という地域は将来性豊かな地域であると思う。施設園芸を柱にした土地集約農業であると同時に工業も発展している。 そんな環境を踏まえ、下水道や都市計画など生活基盤整備、北関東自動車道の全面開通を見据えたインターチェンジ周辺の開発も進めなくてはならない。 国道五〇号の全面四車線化、高速道へのアクセス道の整備も重要だ。
 市町村単位ではなく、広域協力的な町作りも不可欠だ。それが特色作りであり、地方分権の促進につながることは言うまでもあるまい。 「熱血宣言 いまを生きる私たちと、子どもたちの未来のために」  このキャッチフレーズが実によく似合うのも、三十代県議の特権かも知れない。そこには若い世代の共感を集め得る土壌がある。 その若さと将来性を考えれば、新田郡のみならず、広く県全体に目を配らなければ、県民は納得しないだろう。
 「少子社会は、社会の活力をなくすことにほかならない。どの施策も重要だが、子育て支援策には特に力を入れなくてはならないと思う」
 三児の父親の言葉には説得力がある。青年層の代表としての存在意義を、より高めていくには、これまで以上に多くの若者を巻き込んだ水平的な活動の 広がりも図らねばならない。  「社会のすべての人に夢を与える仕事につけたのだから」
 政治家人生を踏み出した青年県議は、そう言って目を輝かせる。





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